わたしにとってのウェルテル効果と希死念慮
芸能人の自殺報道が続いたことについて。
わたしの精神衛生上こういう内容はあんまり突き詰めてやると良くない気もするんですが。でも、どうしても家族含め周囲ではやっぱり話題になってしまうので。
どうして自殺の話題を周囲の人に簡単に振ってしまうのが良くないのか伝わったらいいなと思って書きます。
そしてこのエントリーは希死念慮がある人には向かない内容だと思います。希死念慮があって他人への共感や同調しやすい人の希死念慮を強めてしまうかもしれません。
どうか慎重に読んでいただければと思います。また、これはあくまでもふじよしの個人的な感じ方についてです。うつや希死念慮などがある方全般に当てはまる話でもないです。その点も含めて慎重に、しっかり考えて読んでくださるようお願いいたします。
命の電話 0120-783-556
https://www.inochinodenwa.org/
電話相談は正直周囲の反応を見る限りでは相談員ガチャなので、嫌な感じを受けたらガチャ切りが良いと思います。(ガチャだけに)
あと繋がるまでも長いと思われます。こういう世相なので。SNS相談とかもあります。
その他支援について厚労省のページです。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000188968.html
あとはこういうのも。
いのちの電話とか心の相談とかって酷いこと言われたってよく聞くけど
— やんも@子うさぎの下僕 (@yanmosu) 2020年9月27日
宗教関連とかの素人爺がやってるから当たり前なのだ。
精神医療相談窓口にかけるのだ。
救急て書いてるけど普通にいのちの電話として使っていいサービスなのだ。↓厚生労働省のサイトなのだ
広めるのだ。https://t.co/IausL1mBOO pic.twitter.com/2V6SGA2dHe
こっちもまあガチャはガチャのようですので、選択できるガチャはいっぱい持っておきましょう。
それでは、わたしの話をしていきます。
わたしはだいたい常に希死念慮があるタイプの人間なので自殺の報道を見ると、その度にそれが強まります。まず自殺の話題自体に引っ張られます。自殺というワード自体は心の中で常にそう大きくはない割合ですがあります。でもその話を聞けば、それが心を占める割合が増えます。ぱっと思い付いて実行する衝動を羨ましく思ってしまいます。
わかる、わたしも死にたい。いいなぁ…………って気持ちです。ふと唐突に死にたい。
ちなみになんですけど、本当に自殺する場合の方法も決めてます。内容は勿論秘密ですが、こういうの決めてると安心して生きていられます。わたしの場合の生きる方法論です。手段が決まっていれば安心感あります。
有名人の自殺について最近はマスメディアも少しずつですが変わって、自殺方法の詳細が語られることは少なくなりました。でも人気の芸能人の死、しかも自殺というのはセンセーショナルで大きく取り上げられやすい。
わたしはなにか理由がなくても「はぁ~~~、とりあえず死にたいな」って感じで実際のところ上記であげたような窓口に相談するような内容が思い付きません。ただなんとなく報道を見たり、話題を聞くと「とりあえず死にたいな」が強まる。「なんで?」って聞かれても「死にたいから死にたい」としか答えられない。
わたしの場合なぜ希死念慮が強くなるのかっていうと、まず自殺した人への共感や同調です。わかる、わたしも死にたいよ、っていう。
あとは報道などで自殺を取り上げられるような人ってなにかしら魅力のある人でファンが多くいる。でも、自殺の衝動がそれで悲しむ人たちがいるという事実を“超える”ということなんですよね。なんかそれが羨ましい。不謹慎かもしれないけど、それがわたしの心の動きなんです。
わたしにとって現在、死への足枷になっているのは主には母です。家族なので嫌になることもあるし、お互いにイライラをぶつけてしまうこともあります。
あと昔の話なんですが、どうしてもぶつかってしまう時期がありました。言葉では途中遮られるし、わたしも途中でうまく言葉にできなくなってしまう。だからなんとか自分の気持ちを書いた手紙を渡したことがありました。でも結局わたしの伝えたいことは伝わらず責められてると受け取られた(ようにわたしは感じた)。
なので、やっぱり人間の気持ちを伝えるのは親子間だって難しいからと、伝わりそうだと判断した話しかしなくなりました。なんとなく諦めがついたというか。でも嫌悪になったのではなく締感というか悟りみたいなものです。でも伝える努力は、できるときはします。無理はしない。無理をすると無力感に繋がるので。
でも、わたしの場合は愛情はかけられた実感もあり、いまも色々とうつや片頭痛などによる生活への支障があって、親には助けられて生きてます。
でも、家族はわたしが常に希死念慮を持っていることを知らない。だから普通に「彼・彼女はなんで死んでしまったんだろう」とか「まだ若いのに・子どもがいるのに・仕事がうまくいっていそうなのに」とか「家族が気の毒」という話を振ってくる。
わたしは適当にはぐらかすけど、どちらかといえばわたしはそっち側の人間なのです。自殺の話題になるたび希死念慮が強くなる。申し訳ないけれど、わたしも死ぬなら早い方がいい。家族には言えないけど。
色々あったりイライラしてもわたしの場合は家族を大事だと思ってはいます。それに親戚とかを見ていて、子どもに先立たれる親って本当に気の毒で。わたしが先に死んだら親が可哀想だなぁ、と。突然の自殺とかだとなおさら。病気とかで余命があって徐々に覚悟ができていくのとは違うので。それでも、いつだって死にたい気持ちはあるけど。一時期は親を殺してから死ねば悲しませずにすむのかなとも思ってました。ただ確実な方法で苦しませずに、という方法が浮かばなかったので今のところそういう選択肢はないです。
そんなわたしみたいな大なり小なりの希死念慮を抱えている人は一定数います。どこにいるかは分からない。もしかしたら、あなたが誰かの自殺の話を振ったその人かもしれない。それが引き金になるかもしれない。
だからこそ、誰かの自殺の話をするときは慎重になるべきという話でした。